立川に伝説のラーメン店『がんこ』の新店が誕生! ラーメン官僚も感激するしょっぱ旨い「塩(バラ)」の魅力とは?

立川に伝説のラーメン店『がんこ』の新店が誕生! ラーメン官僚もノックアウトされたしょっぱ旨い「塩(バラ)」の魅力とは?
食楽web

 今から約40年近く前となる1983年に豊島区高田(西早稲田)の地に操業した『がんこラーメン(数度の移転を経て、現在は『一条流がんこラーメン総本家』として四谷三丁目で営業中)』。

 同店の創業者は、「家元」と呼ばれる一条安雪氏。同氏の下で修業し、のれん分けを受けた者たちが開業した店舗は、最盛期には十数軒に及び、2000年代初頭には、直系店舗(主に『がんこ◯◯代目』を屋号として掲げる店舗)、直系からの独立店や関連店を含め、いわゆる『がんこ系』と総称される一大グループを構築していました。

 00年代当時における『がんこ系』店舗(特に直系店舗)は、店によって程度の差こそあれ、塩分濃度が極めて高いラーメンと、『がんこ』の存在を知らない者にとっては飲食店であることすら分からない窓のない漆黒の店構えが共通の特徴。ひと言で申し上げれば、個性の塊のようなグループであり、店舗外観や味の様相がある程度人口に膾炙した後もなお、根強い人気を保ち続けてきたところです。

店は『立川らーめんたま館』の施設内にある。2017年5月に大型ショッピングモール『コピオ相模原インター』へ移転した修業元(総本家相模原分店)と同様、中・大規模施設での出店。正確には2013年10月まで相模原市で路面店として存在していた『がんこ総本家分店』が、2017年5月に復活・移転を果たしたのが『がんこ総本家相模原分店』
店は『立川らーめんたま館』の施設内にある。2017年5月に大型ショッピングモール『コピオ相模原インター』へ移転した修業元(総本家相模原分店)と同様、中・大規模施設での出店。正確には2013年10月まで相模原市で路面店として存在していた『がんこ総本家分店』が、2017年5月に復活・移転を果たしたのが『がんこ総本家相模原分店』

 さて、今回ご紹介する『元祖一条流がんこラーメンたま館分店』は、2021年10月2日にオープンした『がんこラーメン』の最新店舗。店は『立川らーめんたま館』の施設内です。同店の店長として厨房に立つ横田裕文氏は、家元・一条安雪氏の弟・一条修氏が店主を務める『元祖一条流がんこ総本家相模原分店』のご出身です。

「20数年前、一条修師匠のラーメンを初めて口にしたときに、雷に打たれたかのような衝撃が走りました。お世辞抜きに、これは世界一美味しいラーメンなのではないかと。この思いは今でも全く変わっていません」と横田氏。

 当時、横田氏は和食の調理師を務めていましたが、一条修氏の1杯に魅せられ、ラーメンの世界へと飛び込むことに。『がんこ』が手掛けるラーメンの味の要諦をしっかりと会得し、今般オープンした『たま館分店』の厨房を任せられるまでに至ったスゴ腕です。

席はカウンターのみの8席
席はカウンターのみの8席

『らーめんたま館』では、駅からほど近く敷居が低い開放的な空間で、あの『がんこ』の1杯が気軽に堪能できます。昔の『がんこラーメン』を知る者からすれば隔世の感がありますが、こういう変化に立ち会えるのも、長年ラーメンマニアを続けてきて良かったなと実感できる瞬間。

 このあたりの事情が、どちらかと言えばマニアックな場所を選んでひっそりと営業していたひと昔前の『がんこ系』店舗と様変わりしていて、個人的には興味深いところです。

 横田氏によれば、「たま館の館長を務める『鏡花』の町田氏から、『ここに店を出してみないか』と、声を掛けていただきました」とのこと。『鏡花』と言えば、立川が多摩屈指のラーメン激戦区として名を馳せる礎を築いた名店中の名店。作り手にとっては、最高級の栄誉と言えるでしょう。

 さて、私も「久しぶりに、都内に『がんこ』の新店が誕生した」ということで、オープンからまだ日が浅いタイミングで訪問。しかも、同店で提供される1杯は、修業元に倣い、往年の『がんこ系』で作られていた「しょっぱうまい」ものだとのウワサ。立川駅からたま館へと向かう間、際限なく膨らむ期待による胸の高まりを抑えきることができませんでした。

 たま館の入口をくぐれば、向かって手前の左側に『がんこたま館分店』が鎮座。柱には、同系の店舗が営業中であることを示す符丁である「牛のゲンコツ」が掲げられ、同店が紛れもない『がんこラーメン』であることを声高に主張しています。