店主の人柄と丁寧な仕事ぶりが伝わる美しい「らぁめん」

さて、注文した「らぁめん」の完成を待ちます。大澤店主は『ご恩』の前に、小金井市で『無坊』という、当時からマニアだった人で知らない者はいない名店を立ち上げ、店主を務めていた経験がある、腕利きのラーメン職人。カウンター越しに見える店主の所作も堂に入ったもので、1杯1杯、しっかりと丁寧に手順を踏みながら創られていることが分かります。
大澤店主の手際の良さに心を奪われているうちに、「塩」と「醤油」が完成。奥様の手によって、うやうやしく提供されました。「塩」「醤油」ともに、スープが透き通った清湯タイプ。
トッピングは、チャーシュー(豚肩ロース&鶏ムネ肉)、メンマ、ネギのみと、至ってシンプル。チャーシュー、メンマの形状は美しく、色合いも艶やか。一定以上の経験を重ねてきたラーメンマニアであれば、提供されたラーメンを見ただけで、店主の仕事ぶりが極めて緻密かつ真摯であることが分かると思います。

味も、ビジュアルから伝わるとおり。いや、ビジュアル以上にハイレベルです。「スープの素材ですが、お肉屋さんにお願いして、当日朝にさばいた鶏の手羽先を毎日取りに行っています。加えて、鶏の持ち味である五感に訴えかける滋味を味わい尽くしてもらいたいので、鶏肉も使います。それら以外の素材は、鶏の邪魔になると考え、一切使いません」(大澤店主・以下同)

入手した鶏素材を丹念に6時間かけて炊き上げ、その後、急速冷凍。冷凍することで風味の幅が拡がり、奥行きも格段に増幅するそうです。「今はあまりお金がかけられない状況で、ブランド鶏や地鶏は高価なので使えませんが、代わりに、手間だけは惜しまずかけようと、この店を開業する際に決意しました」
豊満なうま味がじわりと味蕾に沁み入り、芳醇な薫りがふわりと鼻腔をくすぐるスープは、すする度に頬が落ちそうになるほど。一度、レンゲを動かし始めたら最後、飲み干すまで、その手を止めることができなくなる、逸品中の逸品です。

スープだけではありません。タレも、大澤店主の経験とこだわりが余すところなく詰め込まれたものです。
「塩ダレは、『無坊』時代の塩ダレをブラッシュアップしたものです。より深みのある風味を出すため、ブレンドする塩の種類を増やしています」と大澤店主が語るとおり、モンゴル岩塩、沖縄、赤穂など産地を異にする塩を絶妙なバランス感覚でブレンドし、昆布、干し海老で風味を整えた塩ダレは、スープに潜む「鶏」の存在感を際立たせ、浮き彫りにする役割を全うしています。

また、大澤店主が大の醤油ラーメン好きで、開発に当たり、塩に勝るとも劣らぬほどの力を入れたという醤油ダレは、柔和な甘みと気品のあるうま味を合わせ持ち、舌上で、スープ中の鶏とピタリと一体化します。「醤油ダレは、都内唯一の木桶仕込みの醤油蔵元であるあきる野市の『近藤醸造』の『キッコーゴ醤油』を使っています。東京の醤油を使うことにこだわった結果、ようやく探し出した醸造所なんですよ」。
鶏を引き立てる「塩」と、鶏に寄り添う「醤油」。タレだけで、ここまでベクトルが異なる味を創り出す店主の技量の高さ、素材に対する見識の深さに、脱帽するしかありません。

麺は、1932年に豊島区池袋で創業した老舗『松本製麺所』のもの。「以前、あるお店でラーメンを食べたとき、自分の店でも使いたい! と強く興味を惹かれた麺と出合いまして。気になって色々と調べてみたところ、『松本製麺所』と判明、そちらの麺を使っています」。同製麺所の麺は、店主にとってまさに理想的なものだったとのこと。
淡麗スープに合わせる麺としては、やや太めのストレート。ツルンと滑らかな触感と、ザクリと歯切れの良い噛み心地とが、高い次元で共存。スープの持ち味を損なわず、それでいて麺自体にも確固とした存在感がある傑作です。
まず「塩」からいただき、次に「醤油」。気が付けば、2杯ともペロリと完食していました。
「この『ご恩』という屋号は、これまでお世話になった人達やお客様に、丹精込めた1杯を提供することで、恩を返したいとの意味を込めたもの。これからも初心を忘れずに、一人ひとりのお客様に真心を尽くした1杯を提供していきたいと思います」と大澤店主。
テーブル席が用意され、接客も実にきめ細やか。お子様連れのファミリー客にも、自信を持ってオススメできる優良店。未訪の方はぜひ万難を排して足を運んでもらえればと思います。
大澤 剛氏のプロフィール

・2002年に小金井市に創業し、多磨エリア屈指の実力店として名を馳せた『無坊』の初代店主。
・2010年に『無坊』を閉め(※)、大澤氏自身は飲食業から離れるが、ラーメンとは関係のない別の仕事に就いているときに奥様と出逢い、「再びラーメン職人の道に戻り、自分が作ったラーメンでお客様に喜んでもらうことで、妻を幸せにしたい」と一念発起する。
・2021年7月、別の飲食店が営業していない時間帯を活用した「シェアレストラン」のシステムを活用し、浅草橋に『ご恩』を間借りオープン。
・今般、店主憧れの環七通り沿いに空き物件が発生したことを知り、2022年3月、実店舗を開業。店主の様々な人生経験が凝縮された1杯は、味覚のみならず心をも潤す、円熟味のある味わいだ。
●著者プロフィール
田中一明
「フリークを超越した「超・ラーメンフリーク」として、自他ともに認める存在。ラーメンの探求をライフワークとし、新店の開拓、知られざる良店の発掘から、地元に根付いた実力店の紹介に至るまで、ラーメンの魅力を、多面的な角度から紹介。「アウトプットは、着実なインプットの土台があってこそ説得力を持つ」という信条から、年間700杯を超えるラーメンを、エリアを問わず実食。47都道府県のラーメン店を制覇し、現在は各市町村に根付く優良店を精力的に発掘中。