
老舗から新店まで、新たな味と人との出会いを求め古今東西を駆け巡るマッキー牧元さん。そんなタベアルキストが、現在までに出会ってきたさまざまな店や料理の、今は味わうことが難しい“幻の味”の記憶をひもとく。
路地に入ると、パンダと鯉が現れた。
パンダは竹を登り、1.5mの巨大な鯉は、滝登りならぬ壁登りをしている。
ここは京都千本丸太町「草魚」である。
あっそうか。これは鯉ではなく草魚なのか。どうりで背ビレが小さく細長い。
路地にパンダと草魚である。
深いなあ。
「お~きに」。ドアを押して店内に入ると、年配の女性から声をかけられた。
昼下がり、老夫婦が二人で切り盛る店には、僕一人と、隣の3人家族だけの客がいた。
注文するたびに、「おおきに、ありがとね」。と言うお母さんが可愛い。
全面焦げ茶色に焼き色がついた、餃子が運ばれる。
「ごくり」
音を立てる喉をおさめるように、ビールを飲み、ニンニクに箸を伸ばした。
カリリッ。痛快な音を立てて皮が弾ける。
餃子は、白菜と豚ミンチだけという潔さで、ニラもニンニクも入っていない。
だが肉の存在感があって、そのムチッとした歯応えが泣かせるねえ。
酢醤油を入れた小皿の脇には、緑色の固まりが添えられている。
練りわさびかと思って聞けば、おろしニンニクだという。
「日本酒とおろしニンニクをを練って、一晩置くと、なぜか緑色になるんです」と、可愛いお母さんが言う。
続いて「かしわのからあげ」が運ばれた。
もも肉一枚を揚げたもので、皮は薄く、パリリと香ばしく弾け、肉はしっとりと肉汁を含んでいる。
こりゃあ庶民版・脆皮鶏だな。
「味はついてるけど、足らんかったらこれかけて」と、置かれたのは、食卓塩である。
いやただの食卓塩やない。山椒塩に入れ替えている。
お奨めに従い、三分の二ほど食べてからつければ、ああビールが進む。
さあそろそろ〆と行こうか。
麺料理に普通のラーメンはなく、湯麺は、五目麺、天津麺、叉焼麺の三種だけ(それでも皆650円なのだよ)である。隣席が頼んだ叉焼麺の澄んだ塩味スープと縁が赤い叉焼に、心が揺れたが、焼きそばを頼む。
「味はついてるけど、足らんかったらこれかけて」と、置かれたのは、餃子のタレ(酢醤油)である。
塩味焼きそばは、塩淡く、うまみ調味料も微かで品がある。
その淡味で、よく焼かれた、極細麺の味が生きるのだよ。
キャベツ、九条葱、豚コマ、キクラゲ、人参、筍という具の布陣もよく、これはなにもかける必要がない。
やはり京都の中華には、昭和初期の優しさに満ちている。
食べれば、心をほんのりと温めてくれる。
「ありがと。おいしかったです」と、帰り際に挨拶すれば、「おおきに、また来てください」と、御年74歳のご主人は、満面の笑顔を浮かべられた。
「また来ます」。
そういって店を出た。
時折「草魚」を思い出す。
お母さんの可愛い声を思い出す。
ニンニクなしで、何皿でもいける餃子を思い出す。
湯麺の慈愛に満ちたスープの味を思い出す。
焼きそばの細麺が、唇に触れた感覚を思い出す。
白髪のご主人の、笑顔を思い出す。
「また来ます」と言いながら、実現せず、「草魚が店を閉めたよ」という友人からの伝言に、暗澹たる気持ちになった日を、思い出す。
(イラスト◎死後くん)
●著者プロフィール

マッキー牧元
タベアルキスト。『味の手帖』編集主幹。食と作り手への愛が溢れた文章と肉1kgをたいらげる喰いっぷりにファン多数。立ち食い蕎麦からフレンチ、割烹まで、守備範囲は広い。近頃は本誌『食楽』誌上で名料理人ぶりも披露している。