マッキー牧元の記憶の三ツ星食堂|住宅街に隠れし安寧の場所『竹叢』

マッキー牧元の【記憶の三ツ星食堂03】住宅街に隠れし安寧の場所|「竹叢」

食楽web

老舗から新店まで、新たな味と人との出会いを求め古今東西を駆け巡るマッキー牧元さん。そんなタベアルキストが、現在までに出会ってきたさまざまな店や料理の、今は味わうことが難しい“幻の味”の記憶をひもとく。

 桜の季節が近づくと、思い出す店がある。

 最後に訪れたのは、頬に当たる風が冷たくなった晩秋だったろうか。連れは、飲み会で知り合った、年下の小柄な女性であった。
「食べ物はなにが好きなの?」と聞くと、
「お吸い物」と一言、真っ直ぐな目で答えられたのがきっかけだった。
 こんな女性は初めてである。よし、とびきりのお椀を食べさせてあげたいと、名だたる割烹を幾つか思い浮かべた。

 しかし高級割烹では、若い彼女は緊張し、ろくに味わえないかもしれない。
 その時、ふとその店を思い出したのである。隣人の家に招かれたような、暖かい雰囲気がいい。偉そうな客と出会わぬ室内もいい。そしてなにより、女主人の人柄がしなやかで、柔らかいのがいい。そうだこの店にしよう。

 阿佐ヶ谷の駅で待ち合わせ、北口の商店街を歩き、病院の角を曲がった辺りで彼女は少し不安そうに口元が強ばった。
 それもそうだろう。周囲は店も途切れ、静かに寝静まっている。しかもさらに細い路地に入り込もうとしている。普通ではこんな住宅街に店を開かない。

 やがて一軒の家の前で僕は立ち止まった。
「ここだよ」。というと、彼女は目を丸くした。
 隣家よりやや立派なものの、普通の民家である。料理屋らしき看板もなく、「竹叢」と記された表札があるだけである。

 戸惑う彼女を尻目に、さっさとドアを開けて玄関に入ると、
「こんばんは」と、中に声をかけた。
「やあ、いらっしゃい。お待ちしておりました」。優しい目をした店主、竹村千代さんが現れた。この店は彼女が一人で切り盛りしているのである。
 彼女も竹村さんに微笑んでいる。不安から安堵。この気持ちの揺れがあるから、隠れ家はやめられない。

 一階の庭を望むカーペット敷きの和室に通された。どうやら今晩の客は、我々二人だけらしい。

 料理が流れ出した。イカと筍の木の芽和え、芝海老の旨煮、慈姑揚げ、鶏ささみとザーサイ、葱の和え物といった前菜に続いて、お椀が運ばれる。

 真塗り椀の蓋を取る。鯛のお椀だった。分厚い鯛の切り身と餅米団子が座っている。
 全神経を集めて、おつゆをいただく。
 塩が舌に当たらないぎりぎりの淡味に、鯛の旨味が柔らかく調和している。

「ふうっ」。彼女が目を閉じて、吐息を一つ漏らした。
 そうっとまぶたを開けると、僕を見て、蕾がほころぶように、微笑んだ。
 なにもいわない。語らない。
 だがその笑顔だけで分かり合えた。なんとも優しく、人を癒す笑顔には、お椀と出会った幸せと、命を押し頂く感謝に満ちていた。

 おいしいものが分かるだけではない。おそらく家族を大切にし、他人の気持ちに敬意を払いながら生きてきたのだろう。
 それでなければ、あの笑顔は出来まい。お椀のおいしさを味わうのは舌ではなく、その人自身の徳性なのだから。

 お椀を飲み終え、余韻に浸りながら、家族の話を聞いた。彼女は少しのためらいもなく、父や母や兄弟の愛に富む話を聞かせてくれた。
 こういう気持ちの真っ直ぐな人と共にいただく食事は、清清しい。

 その後のカワハギの造り、野菜炊き合わせ、甘鯛の焼き物、ヒゲダラと蓮根饅頭、かぶら蒸し、鰯ぬた、鯛ご飯と続く料理も、素直においしさが分かち合えた。料理がより光り輝いて、心が弾んだ。
「ほら庭に桜の大木があるだろ。樹齢三十年なんだって。季節が来るとテラスが桜の絨毯で敷き詰められるんだ」。
「わぁ。来たい。来たい。ぜひ連れてきてください」。彼女は少女のように懇願した。よしと、僕らは硬い契りを交わして店を出た。

 だが約束を果たすことは叶わなかった。
 数ヵ月後に彼女から、「故郷に帰ります」という電話があったのである。

イラスト◎死後くん

●著者プロフィール

マッキー牧元

マッキー牧元

タベアルキスト。『味の手帖』編集主幹。食と作り手への愛が溢れた文章と肉1kgをたいらげる喰いっぷりにファン多数。立ち食い蕎麦からフレンチ、割烹まで、守備範囲は広い。近頃は本誌『食楽』誌上で名料理人ぶりも披露している。