その歴史は100年以上。知られざるキンミヤの誕生秘話

冒頭で触れたような大衆酒場を陰で支え続けるキンミヤ。販売元の宮崎本店の歴史は古く、創業地・三重県で酒の製造をスタートさせたのは今から176年前の1846年のことだったと言います。
「創業当初は地元・三重県産の芋を使って、乙類の焼酎を作っていました。同時期、三重県内には33箇所ほど、乙類焼酎を作る蔵があったようですが、弊社の創業者・宮崎庄三郎という者が1913年に『乙類焼酎だけじゃダメだろう』と考え、ドイツから連続式蒸留器を輸入・導入しました。この機械を使って新式の焼酎を作ったのが、キンミヤでした。これに前後して、東京を含む関東圏にも販路を拡大し、徐々に浸透していったという流れです。
「その頃は焼酎を作るにしても、水が今ほど綺麗じゃなかったこともあり、雑味あるものが多かったようです。だから、梅のエキスなどで割らないと、美味しく飲むことができなかったのかもしれません。そんな中、キンミヤは地下150メートルの三重・鈴鹿山の綺麗な軟水を使ったことで、綺麗な口当たりを実現できました。これがキンミヤが受けた一番の理由だったと思います。綺麗な軟水ですので、甘い口当たりになるのですが、他メーカーさんから『絶対砂糖を入れているはずだ』と指摘を受けることもありましたが、分析してもらったら何も出なかったということもありました(笑)。
つまり、キンミヤは三重・鈴鹿山の水のおかげでできたものでもあります。今も地震などで水を得ることができなくなるとマズいため、もう1本保険で掘っています」(宮崎本店東京支店・伊藤盛男さん)
「メディアに広告は出さない」その理由とは!?

これだけ古い歴史があるキンミヤですが、ある種のブランド的な支持を得るようになったのは、この17~18年のことだったそうです。
「当初は、東京の下町の大衆酒場に入れさせていただいていました。炭酸と梅のエキスで割ったり、ホッピーにして飲んでいただいたり。ビールはまだまだ高価で気軽には飲むことができなかった時代でしたので、その代替酒のベースとしてキンミヤが大衆酒場で広まっていきました。しかし、この17~18年で大衆酒場の評価が高まるのと合わせて、キンミヤも逆指名されるような現象となり、新宿の繁華街などでは、『うちはキンミヤを使ってる』とアピールしているお店も多くなりました」(宮崎本店東京支店・伊藤盛男さん)
通常の商売の感覚では「評価が高まった時期にこそ、自社のブランド力を高めて、より多く浸透させ、売り上げに繋げよう」と考えるものですが、宮崎本店の場合、むしろそれをしないのもこだわりのようです。これまでにメディアにキンミヤの広告を打ったことはほとんどなく、あくまでも大衆酒場での営業を大切にしているとのこと。こういったことがかえってブランド力を高める結果となり、前述のような「逆指名」現象につながっているようにも思いました。
中には月に100軒の居酒屋を飲み歩く社員も……!

伊藤さんによれば、お付き合いのある大衆酒場に出向いてお酒を飲む日々とのことですが、宮崎本店の東京支店では、東日本全域と九州・沖縄・海外を担当しており、あちこちを飛び回っているとのことです。
「北海道から神奈川までの全県と、九州と沖縄、そして海外。特に台湾は250店舗くらいのお店でキンミヤを扱っていただいているので、以前は台湾でも3~4時くらいまで飲み明かすこともありました(笑)。うちの営業は、どの酒メーカーさんよりも飲食店さんとコミュニケーションを取っていると思います。コミュニケーションは金太郎飴ではないので、行ってみないとわからないですし、自分たちが気づかないことを教えていただくこともあります。
だから、うちの営業にも『営業のやり方はない。自分で方法を見つけなさい』と言って、各店に飲みに行ってもらうようにしています。今はコロナで動けてませんが、中には月に100軒くらい行く社員もいたりして、私としては領収書を見るのが怖くなるのですが(笑)。でも、それ以上に心配なのが社員の体調で、この点は特に口すっぱく指導しています。でも、本当にこの程度で、営業は個人個人のやり方に任せています。また、各地で飲めば、必ず『各地の吉田類さん』みたいな人がいます。そういった方と出会えることも貴重なことで、新たな繋がりを作っていただける機会もあります。こういうコミュニケーションを大切にすれば、必ず広がっていくと思っています」(宮崎本店東京支店・伊藤盛男さん)
これからも大衆酒場を裏切らないようにやっていく

最後に、コロナ禍を経て、今後のキンミヤの展望についても聞いてみました。
「重複しますが、大衆酒場の多くのお店でキンミヤを特別に思ってくださっています。今後もこういった期待を裏切らないような営業をしていきたいです。また、キンミヤの新しい飲み方をどんどん提案していきたいとも思っています。これからも我々が考える営業を続けていきたいと思っています」(宮崎本店東京支店・伊藤盛男さん)
伊藤さんによるキンミヤのヒストリーと各飲食店に寄せるアツい思いに感動しました。また、キンミヤのその味のように、クリアでストイックな営業もまたキンミヤがカリスマ視される要因のようにも思いました。これらの話をネタに、今夜も一杯キンミヤを飲んでみてはいかがでしょうか。
(撮影・文◎松田義人)