
●年間700杯以上を食べ歩く“ラーメン官僚”こと田中一明氏が、日本全国のローカル・ラーメンの最新事情&名店をご紹介。今回は和歌山県。太平洋を臨む紀伊半島で育まれた同県のラーメン文化。濃密な歴史と地域性、そして革新が折り重なる個性的な世界へご案内します。
和歌山県は、大きく「紀北」「紀中」「紀南」に分けられる。県庁所在地・和歌山市のある「紀北」は、県北西部に広がる和歌山平野を中心とするエリア。
県中央部の「紀中」は、みかんや梅で有名な有田市や御坊市を擁する一帯。「紀南」は田辺市・新宮市・白浜町・串本町などで構成され、熊野古道・那智の滝・白浜温泉など全国区の知名度を誇る名所がひしめく観光エリアだ。

和歌山県の主要ラーメン店は「紀北」の和歌山市に集中している。同市の人口は県総人口(約87万人)の4割超を占める。実力店の多くが同市内へと集中するのは当然といえる。そんな和歌山市は、近畿圏においては稀少なご当地麺「和歌山ラーメン」の発祥の地。「和歌山ラーメン」は、“車庫前系”と“井出系”に大別できる。
“車庫前系”は、旧市電の車庫前付近に起源を持つ屋台文化の面影を残す1杯。醤油の芳香と動物系のうま味とが交錯するキレのあるスープは、街の記憶をそのまますするような味わいだ。
一方の“井出系”は豚骨を強く炊き、白濁した「豚骨醤油」が特徴。1998年、同系の祖である『井出商店』が新横浜ラーメン博物館(神奈川県横浜市)に出店し、「和歌山ラーメン」の認知度を全国クラスへと押し上げることになった。
とはいえ、和歌山県のラーメン事情はこの2ジャンルにとどまらない。現地の実像は、はるかに複雑で多様だ。
例えば、視点を和歌山市内から少し広げると、名店『うらしま食堂』が紀の川市に鎮座する。同店は、強めに炊き上げた豚骨醤油スープと太めの麺で、“うらしま系”とでも呼ぶべき独自性豊かな味わいを構築。紀の川市の『中華そば しま彰』、和歌山市の『中華そば今心』など、後進の人気店も、『うらしま食堂』のDNAを受け継ぐ。
また、近年は、これら従来の「和歌山ラーメン」とは別文脈の人気店が、同県における上位人気店として台頭しつつある。大阪などの隣県からの実力店の流入が本格化しているのだ。紀の川市の『麺屋 夢風』や橋本市の『麺匠 中うえ』はその代表格であり、いずれも、県外仕込みの技術を駆使しながら、地元の食習慣と響き合う味を築き上げ、圧倒的な人気を獲得している。結果として、「紀北」のラーメンシーンは、伝統と革新とが併存する多層的な様相を呈しつつある。
和歌山ラーメンの食べ歩き方

和歌山のラーメンシーンを俯瞰するには、まず、和歌山市内で“車庫前系”と“井出系”の味と歴史に触れ、次に「紀北」の周縁部(岩出市・紀の川市・海南市・橋本市など)へと足を延ばし、現在進行形の潮流を体感。
最後に、御坊市の『らぁめん たんぼ』、『らぐまん2000』、『birdman』や、田辺市の『とりそば下地橋』、新宮市の『速水』、『新宮亭』など、「紀中」と「紀南」の代表店を拾い上げれば、県内の景色はほぼ見渡せる。
和歌山県のラーメンシーンの妙味は、提供される1杯が単なるラーメンではなく、その土地の文化や歴史を映し出す鏡と化している点に尽きる。“井出系”の濁りに宿る市井の歴史、“車庫前系”の醤油の芳香に残る屋台文化、“うらしま系”に体現される骨太な地域文化、県外から参入した新進気鋭店が投じる新たな規範。そのいずれもが、同県のラーメンの価値の源泉だ。
今回のコラムでは、そんな和歌山県のラーメン店の中から、選りすぐりの4軒を紹介する。選定に当たっては、“井出系”、“車庫前系”の定番店舗はあえて外し、見落とされがちな実力店や、和歌山ラーメンの「今」を体現する新進気鋭店に焦点を当てた。和歌山の味の現在形を、ぜひ自らの舌で確かめてもらいたい。