
台湾のどんぶりご飯として最も有名なのは魯肉飯ですが、その次に知られるのが、やさしい味付けで茹でた鶏肉をご飯にかけた鶏肉飯です。
特に台湾南部の入り口にあたる嘉義市は「鶏肉」ではなく「火鶏=七面鳥」による“火鶏肉飯”が名物で、ご当地グルメとして知らない台湾人はいないほど有名です。
今回は、日本ではなかなか味わえないこの火鶏肉飯を食べに、本場・嘉義に行ってきました。
台湾南部の入り口で日本ともゆかり深い嘉義

嘉義には北回帰線が走り、この地を堺に北側が亜熱帯、南側が熱帯となります。冒頭で触れた通り、ここが台湾南部の入り口となるわけですが、実は日本ともゆかりの深いエリア。
各所に80年以上前の日本統治時代の遺構が今日も遺る一方、2014年に映画化され大いに話題になった「日本人・漢人・原住民(現地呼称ママ)混在」の高校野球チーム、KANOもここ嘉義が舞台です。

また、台湾中央部の景勝地で、お茶の名産地でもある阿里山の入り口となるのもここ嘉義で、他県とは違う雰囲気があります。
さて、嘉義のご当地グルメ、火鶏肉飯は戦後に親しまれるようになったもの。1945年、日本が戦争に負けて台湾から退去した後、しばらくの間、米軍が台湾に駐留していました。その米軍が七面鳥を持ち込んだことで、嘉義近郊に七面鳥の養殖業者が増えたと言われています。
当時は鶏肉のほうが高額で、庶民にとっては七面鳥のほうが安価で手を出しやすいものでした。また、鶏肉よりも大きく栄養価も高いことから、嘉義の屋台が「おやつ」として、魯肉飯を真似て火鶏肉飯を考案。これが地元で評判となり、親しまれるようになったとされています。
戦後に米軍が持ち込んだ七面鳥が由来のご当地ご飯

現在、嘉義エリアには無数の火鶏肉飯の専門店がありますが、今回はその発祥の店と言われる『噴水鶏肉飯』で火鶏肉飯をいただくことにしました。
実はこちらのお店、開業は日本統治時代の1943年。当時は魯肉飯を販売していたものの、日本軍が去った戦後しばらくの間、豚肉などの入手が困難になったことから、前述のような米軍が広めた七面鳥(火鶏肉)に着目。

以来、火鶏肉飯の名店として知られるお店となりました。ちなみに筆者も20年近く通い続けるお店でもあります。
![幸い、まだ売り切れになっておらずオーダーできた[食楽web]](https://cdn.asagei.com/syokuraku/uploads/2025/07/20250709-huojifan06.jpg)
訪れたのは閉店間際の時間帯でしたが、幸い売り切れにはなっておらずオーダーすることができました。
程なくして着丼した火鶏肉飯は、今も昔も変わらぬビジュアル。旅行者の筆者にとっても忘れ難き味なので、地元の嘉義の人々にとっては、その想いは遥かに強いものでしょう。
火鶏肉の美味しさのそばに置かれたタクワンが泣ける

火鶏肉飯は程よい味付けで蒸し上げた火鶏肉の皮を剥き、裂いた肉をドーンとご飯の上にのせたもの。さらに台湾ではお馴染みの揚げたエシャロット、特製のソースをかけていただくのが主流です。
さらに、ここで少し泣けるのが、多くのお店の火鶏肉飯でタクワンが添えられていること。これは前述のような、日本統治時代の食文化の名残。日本人にとってもなんだか懐かしく感じさせてくれるのです。
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火鶏肉飯は、お店ごとに味わいが多少異なるものの、いずれも火鶏肉にしつこいほどの味付けをせず、素材の美味しさを提供しているのが特徴。
鶏肉とはまた違う弾力と旨みがある『噴水鶏肉飯』の火鶏肉飯は、シンプルなのにクセになる味わい。モチッとした、ほのかな甘み漂うお米との相性も抜群で、ついぺろっと平らげてしまいました。

また、サイドでオーダーした「油蛋」(煮卵=15元)、「筍絲排骨湯」(たけのこと骨付き肉のスープ=60元)も絶品で、これぞまさしくご当地グルメセット。シンプルで優しい味わいがやけに和む嘉義の夜でした。
各地のストーリーや文化を「食の散策」から知る楽しさ

今回は嘉義の火鶏肉飯を実食・ご紹介しましたが、台湾各地には、地域の風土や歴史に根付いたご当地グルメがあります。高級料理店での食事もありがたいものですが、台湾滞在中の最低1食は、できればその地に根付いた庶民料理をいただきたいものです。
その庶民料理には必ずなんらかのストーリーがあり、中には80年以上昔の日本の面影を今日まで継承し続けるものも。こういった「食の散策」もまた、その地に根付く歴史や文化を知る上で、実に有意義なものになるはず。ぜひ台湾各地のご当地グルメを巡ってみてくださいね。
(取材・文◎松田義人(deco))
●SHOP INFO
噴水鶏肉飯
住:台湾 嘉義市中山路325号
営:9:00~21:30
休:年中無休