【月とコーヒー】第十二話 世界の果てのコインランドリー

【月とコーヒー】第十二話 世界の果てのコインランドリー
食楽web

吉田篤弘

 本当を云うと、この世界に「果て」と呼んでいいところがあるとは思えないのですが、そのコインランドリーがある場所へ行ってみますと、そこが間違いなく世界の果てであり、コインランドリーの先にひろがる風景は、この世界の外であると感じられるのです。

 もう少していねいに説明をしますと、そこから先にはもう電線が来ておりません。コインランドリーに供給されている電線がこの界隈の最後の電線で、それも何か非常にくたびれた電線なのであります。

 いちおう、そのあたりは町のはずれであり、電信柱もしっかりと立っているわけですが、道路はコンクリートがあちらこちらでひび割れ、どこから運ばれてきたのか、石ころや塵芥といったものが堆積しております。

 塵芥から雑草が生えて白い花を咲かせ、ときおり吹いてくる風の力に耐えて、どうにかそこに留まっている次第です。

 人の気配は感じられません。

 これでも昔はそれなりの数の住民がいたのです。ついこのあいだのような気がいたしますが、数えてみますと、すでに五年か六年か七年か八年ほど経っているかもしれません。

 そのころの町はにぎやかで、商店なども繁盛して、いろどり豊かなものが町を輝かせていました。しかし、ここから数キロはなれたところにつくられた〈ニュータウン〉に、皆さん、行ってしまわれた──。

〈ニュータウン〉は、それはそれは、いいところで、なにしろ、便利なのでありました。買いたいものや食べたいものがすべて揃っています。そこに住んでいれば一生なにも困らない。そういう大きな船のような街があらわれ、皆こぞって、そちらへ移り住んでしまったわけです。

 では、いまこの世界の果てにあるコインランドリーは誰も利用していないのか、営業していないのか、下着や服やタオルを洗うことはできないのか──そう思われるかもしれません。

 しかし、そうではないのです。このランドリーは電気も供給され、たった一台だけではありますが、マシーンも普通に動いて、洗濯と乾燥のセット料金は二百円ということになっております。

 とはいえ、誰も住んでいないところにそのような機械があっても仕方がないではないか、と思われるかもしれません。たしかに誰も住んでいなければそのとおりです。

 ところが、ただひとり、この界隈に住んでいる男がいて、彼はいつからか「トカゲ男」と呼ばれるようになって、いまはもうすっかりトカゲ男そのものです。

 似ていたのでした。のんびりぼんやりとした善良な生きものであるところの、あのトカゲに。風貌であるとか、体の動かし方であるとか、誰かが「トカゲ男だ」と云い出したら、それ以外のなにものでもないということになり、彼自身も、それは納得のいくところで、ちょうどそのころ彼は有名な懸賞に応募をして、見事、「一生分のインスタント・カレーライス」に当選したのでした。

 これは決して宣伝文句だけではなく、この先、彼の人生がつづく限り──もう少していねいに説明をしますと、インスタント・カレーライス会社に彼の死亡報告書が届けられるまで、毎月、百食分のインスタント・カレーライスが彼のアパートに送られてくるのです。

 彼の父親はそのアパートの大家であり、いまはもうこの界隈に父親はいないのですが、代わりにトカゲ男が大家をつとめています。ただし、もう五年か六年か七年か八年ほど前から誰もいなくなってしまったわけですから、アパートにはトカゲ男だけしか住んでおりません。

 つまり、彼は食う寝るところに困ることはなく、そのうえ、父親の銀行口座から、ある程度の金額がトカゲ男の口座に振り込まれているので、あくせく働いて、お金を稼ぐ必要がないのです。

 それで彼は、アパートの一階のいちばんひんやりとした一角を選び、そこに今やほとんどトカゲそのものと化した自らの体を横たえていました。

 ため息をついて一日が終わることもあり、好きな詩集をゆっくり繰り返し読んで一日が終わることもあります。

 しかし、いくら自分の他に誰もいないからと云って、ただ怠惰にだらしなく過ごすことをトカゲ男はよしとしません。彼は常に清潔であることを好み、掃除や洗濯といったものを欠かさないのです。

 洗濯というのは、寝床のシーツや枕カバーであるとか、あるいは、自身が身につけているシャツやズボンを洗うことを意味しています。トカゲなのだから、服など着ないで裸で過ごしたらいいじゃないか、とおっしゃる方もいるでしょうが、

(自分はトカゲ男ではあるけれど、本物のトカゲではないのだから服は着ます)

 彼は胸のうちにそうつぶやくのでした。



 しかし、彼が長いあいだ愛用してきた洗濯機が壊れてしまったのです。それはスター印の大変に古い洗濯機でありましたが、トカゲ男にとって洗濯機はその機種以外に考えられず、どうにか直して使いつづけたいと願っておりました。

 ところが、町にはもう電気店というものがないのです。それに、もし電気店が健在であったとしても、スター印の洗濯機を製造していた会社が倒産してしまったので、壊れた部品を取り替えることが不可能なのです。

 それで、トカゲ男は世界の果てのコインランドリーに通うことになりました。そのように便利なものがこの世にあることをトカゲ男は知らずに生きてきたのですが、

(たぶん、あそこに行けば洗濯機がある)

 直感でそう思いました。

 しかし、はじめてコインランドリーを訪れたとき、それはまさに「世界の果て」にふさわしいほど朽ち果てているように見えました。窓ガラスにはひびがはいり、ほとんど物置のような簡素な建物は全体が右に傾いていたのです。

 トカゲ男は慎重な性格でしたから、まずは窓から覗き込んで中の様子を確認してみました。

 すると、中は予想に反してトカゲ男が好む清潔感が保たれており、何より驚いたことに、そのコインランドリーにたった一台置かれていた洗濯機は、他でもないあのスター印の洗濯機だったのです。