連載掌編小説【月とコーヒー】第二十話 冬の少年

吉田篤弘

【月とコーヒー】第二十話 冬の少年
食楽web

 冬になりました。

 いや、まだ冬にはなっていないよ、と笑っていた人たちも、クローゼットから取り出してきた樟脳の匂いがのこるコートを羽織り、背中を丸めて白い息を吐きながら街を歩いています。

 博物館で働いているヤマコシも、そのひとりでした。彼は市営博物館の特別調査記録係に任命され、毎日、博物館の倉庫に保管されているさまざまなもの──それは、ほとんどこの世のすべてと云っていいのですが──を、ひとつひとつ確認してはノートに記録する仕事をつづけています。かれこれ、八年ほどつづけてきたでしょうか。ですから、すでに仕事には慣れていましたし、博物館のいちばん奥にある誰も訪れることのない小部屋で、ひとり黙々とノートをとっていくのは、(自分に合っている)とヤマコシはいつからかそう感じていました。

 ただ、ひとつだけ残念なことがあり、それはヤマコシの暮らしているアパートから博物館までが大変に遠いのです。まずはアパートから駅まで二十分ほど歩き、決まった時間の汽車に乗って、一時間と十五分の距離にある〈タチバナ〉という駅に向かいます。〈タチバナ〉は、非常に大きなターミナル駅で、駅の南側から北側まで十五分をかけて歩き、そこから市営地下鉄に乗り換えて、二十分後にようやく〈博物館前〉に到着します。しめて二時間十分の行程で、午前九時の朝礼に間に合うためには、朝の四時に起きる必要がありました。

 いえ、普通に考えると、いくら遠いとはいえ、四時に起きるのは早すぎるように思われます。しかし、これには理由があるのでした。

 ヤマコシはこうした通勤の日々を重ねるうち、汽車の中で過ごす時間が重要であると気づきました。往復でじつに四時間二十分が費やされるわけですし、その時間の中で、何かひとつでも自分にとって大事なことを出来ないものかと考えたのです。

(食事だ)

 ヤマコシは早々に結論に至りました。

(食事こそ、仕事の次に大事なことだ)

 もちろん、他にも小さな楽しみはあります。たとえば、書き心地のいい万年筆とインクを使って、故郷の家族や、ただひとりの友人に手紙を書く時間は、ひとりきりであることを忘れさせてくれる愛すべき習慣でした。

 けれども、そうした小さな楽しみの中で、最もヤマコシを幸福な心地に誘うのは、食事をすることでした。食材を吟味するところから始まり、少しずつ買い揃えた調理器具を使って、自分で料理をしていく──その過程のすべてが喜びであり、当然ながら、その先には食べる喜びがありました。その美味しさに、思わず「ああ」と感嘆のため息がもれてしまうことも、しばしばでした。

 ヤマコシは友人に送った手紙にこんなことを書いたことがあります──。

 ぼくはこの街に来てから、ずっとひとりで暮らしてきた。ここには知り合いはいても、友人と呼べる者はいない。これは、君もよく知っているぼくの性格によるものだろう。ぼくは、見知らぬ人と話すのが苦手だし、ぼくの方から話しかけない限り、誰かがぼくに話しかけてくるということもない。きっと、これが生涯つづくのだ。

 となると、ぼくは自分で自分を楽しませるより他ない。その結果、「料理」というものに行き着いた。自分で料理をして自分が美味しいと思えるものを食べること。これ以上、確実に、そして日常的に自分に喜びを与える術はないと思われる。

 そうしたわけで、彼は毎日午前四時に起床し、顔を洗って熱い紅茶と一緒にクラッカーを食べると、おもむろに出勤途中の汽車の中で食べる弁当をつくり始めるのでした。その弁当はつまり朝食ということになるわけですが、昼食ならともかく、朝食の弁当をつくる者はあまりいないかもしれません。

 これにもまた理由がありました──。

 ヤマコシが乗る汽車は、発車してから三十分ほどはそれなりに混んでいるのですが、三十分を過ぎて到着する〈オオジカ〉という駅で、ほとんどの客が降りてしまいます。車内に残るのは、ほんのひと握りの人数で、したがって、弁当の包みをひらいて食事をしても、周囲の視線を集めることは、まずありません。

 というより、いつからかヤマコシは車中でどのように過ごしたらいいのか判らなくなっていました。

(それなら、自分がいちばん喜びを感じる「食事」をするのがいいだろう)

 そう考えたわけです。

 それにしても、ヤマコシはとても丁寧に弁当をつくりました。メニューはおよそ決まっていて、じっくり時間をかけて野菜と肉の煮込み料理をつくり、それを自分で焼いた白く大きなパンに挟んで完成です。簡素と云えば簡素なものですが、毎日、繰り返しつくるうち、(どうすれば、より美味しくつくれるだろう?)と考察を重ね、日々、完成度が増しているのでした。

 別の云い方をすれば、毎日、違う味がして、それが日に日に美味しくなっていくのです。実際、ヤマコシは繰り返される一日の中で、弁当を食べる時間に最も充実感を覚え、これこそ自分にふさわしいささやかな幸福なのだと満足していました。