絶品バゲットを求めて埼玉県・鶴瀬「ブーランジュリー コトン」へ。【スイーツ放浪記】

青年の純粋さがパン職人としての道を切り開く

「子供の頃、父が働いていた精肉店によく出入りしていました。「いらっしゃいませ」「今日は何にしましょう?」、そんな会話が飛び交うお店で、父の背中を眺めつつ、また家ではケーキやピザをよく作る母と、料理をするのが大好きでした」と語り始めた綿貫さん。

 高校生になり、周囲の友達が大学入試の準備をし始めた頃には、すでにパン職人の道を進もうと決心していました。1日も早く現場に出てみたいと、近所のパン屋のアルバイトに応募したそうです。

 ところが結果は不採用。実は面接をした店長さんが、17歳だった綿貫さんの「パン屋になりたい」という粋な気持ちを汲み取り、より本格的にパン作りを学べる他店を紹介してくれたのです。

 そのバイト先で、初めて手にする本物の生地、業務用の大きなオーブン、大人と共に仕事をするということ…。夏期講習に通う同級生たちを横目に、早朝から夜遅くまでパン作りに没頭していったそうです。

本物のデニッシュとハイレベルな仲間たちとの出会い

 高校卒業後、専門学校には通わず、地元の小さなパン屋で職人としての経験を積んでいった綿貫さん。あるとき、店のオーナーに勧められて、有名なパン職人・成瀬正(なるせ・ただし)さんによる講習会に参加します。成瀬さんは岐阜県高山市に店を構える「トラン・ブルー」のシェフ。パン好きにとってはもはや聖地、全国からそのパンを求めて客がはるばる集まる人気店です。

「あの日、僕のパンの概念が大きく変わりました」
 そこで目にしたデニッシュ (フルーツなどを使った甘系のパン)は、いままで自分が作ってきたものとは段違いに精巧で、輝くような美しさ。
「講習会を手伝うスタッフとのチームワークも和やかで。この人の作るパンを学びたい、この仲間の一員になりたいと強く思いました」
 けれど、その熱い思いをぶつけるも、地方に店を構えていたシェフには、「ひとり暮らしを経験したことのない青年に、いきなりうちの店でやるのは無理だ」とにべもなく断られてしまったそうです。

 そして、東京でひとり暮らしを開始すると同時に、縁あって勤めることになったのが、カリスマパティシエ・辻口博啓シェフの「モンサンクレール」。自由が丘の超人気パティスリーでパン職人として窯を担当することになり、世界を見据える辻口シェフの姿、人気店ならではの接客スタッフの意識の高さ、常に技術の向上を考えている同世代の仲間たちとの交流…。それは、それは刺激的な日々だったそうです。

「とくに芸術品として崇めたくなるような美しさのケーキを日々、目の当たりにして、美しいデニッシュを作りたいという気持ちもさらに高まりました」

クリームパン150円、クロワッサン190円、あんぱん130円、Coton食パン260円など。
クリームパン150円、クロワッサン190円、あんぱん130円、Coton食パン260円など。