「コロッケそば」は高級料理だった!?銀座でそのルーツを味わってきた!

苦しい時代を乗り越えた「コロッケそば」

 『そば所 銀座 よし田』の初代創業者は須原甲子(すはら・きね)さんという女性である。
「この方は、先見の明があったので、明治時代にハイカラなコロッケをおそばに取り入れたんですよ」と話し始めた一代さん。

 歴史を紐解くと、日本にコロッケが伝わったのは1870年頃。それは、西洋の「クロケット」(今でいうクリームコロッケ)。だが、当時の日本は、乳製品の加工技術が乏しかったため一般には浸透せず、一部の富裕層のみが口にしたという。その後、1880年頃に、乳製品を入れないジャガイモのコロッケが発明され、一般に広がっていくことになる。
 つまり、同店は創業(1885年)当時、最もトレンドであった「コロッケ」を、蕎麦に入れようと考えた、ということになる。

 文献を見れば、明治~大正時代の三大洋食といえば、「コロッケ、ビフテキ、トンカツ」だ。しかし、驚くことに、この中で1番高価だったのがコロッケだったという。

 ここからはあくまで想像だが、甲子さんは、流行りのコロッケをそばにいれるにはコストがかかりすぎると考え、それに似た形で、“鶏肉しんじょ”をコロッケに見立てて入れたのではないかと。このあたりは、一代さんも生まれていないため、定かではない。

 さらに、こちらの「コロッケそば」は、苦しい時代を乗り越えた歴史もあった。甲子さんの店で働いていた一代さんのご両親がのれん分けをしてもらい、銀座に店を構えた。だが、昭和に入り、とくに戦中戦後、苦しい時を迎える。

「戦後、焼け野原になった銀座界隈で、かろうじて店は残ったものの、蕎麦を売るどころではありませんでした。戦地や疎開地から従業員は帰ってくるけど、家には食べるものはない。母は自分の着物を売り、なんとかお金にして、それを元手に、店にあった昆布を使って佃煮を作ったり、怪しげな蒸しパンと舌を刺すようなジャムを作ったりして、新橋の闇市に売ったんです。飛ぶように売れたそうで、再び蕎麦を買うことができ、小麦粉は政府の統制があったためつなぎは入れずに10割蕎麦を売ったら、すぐに長蛇の行列になったんです」

 どうにか店を潰さずにすんだおかげで、再び「コロッケそば」を再開することができたのである。

 昨年2月、『そば所 銀座 よし田』は銀座7丁目から6丁目に移転した。なんと創業131年目の引越しである。そのために一時、店をお休みにしたため、「閉店したのかと勘違いしてびっくりしたよ」と多くの常連さんに言われたというから、いかにみんなに愛され続けているかがよく分かる。

「コロッケそば」の歴史に思いを馳せながら、もう一度じっくり味わっていたら、「こいつは苦労したコロッケなんだなぁ」だとか、「立ち食いそばのあっちが真似だったのかなぁ」と思い始め、「コロッケじゃない」などと一瞬思った自分の浅はかさを思い知った。

 皆さんも、ぜひ、由緒正しき「コロッケそば」を味わってほしい。

(取材・文◎土原亜子)

●SHOP INFO

そば所 よし田

店名:そば所 銀座 よし田

住:東京都中央区銀座6-4-12KNビル2階
TEL:03-6264-5215
営:11:30~15:00(14:30L.O)、17:00~22:00(21:30L.O)
  土・祝 11:30~15:00(14:30L.O)、17:00~21:00(20:30L.O)
休:日