とんかつもワインも! 『アヒルストア』店主が案内する東京・目黒の「はしご酒」スポット

まずは名店『とんかつ とんき』で“とんかつ呑み”

開店口開けの『とんき』カウンターで、まずは深呼吸する齊藤さん
開店口開けの『とんき』カウンターで、まずは深呼吸する齊藤さん

「感動のない料理というのは僕から言わせるとただの味付けですね」

 これは『てんぷら近藤』店主・近藤文夫さんの著書にある、宝石のような一文である。そしてこの言葉は店そのものにも当てはまると、僕は思っている。飲食物を提供することを越えた価値を与えてくれる「感動する店」。そこには必ず店主の狂気のようなものが見え隠れする。つい通ってしまうのはそういう店だ。今宵のハシゴ酒にも、そんな想いを込めて。

『とんかつ とんき』目黒本店は、入り口の暖簾からして襟を正したくなる佇まい
『とんかつ とんき』目黒本店は、入り口の暖簾からして襟を正したくなる佇まい

 まずは16時開店の『とんき』から。1軒目にふさわしい威風堂々の佇まい。口開けから満席になることもしばしばなので、少し早く行って列に並ぶ。無事に着席できると、目の前に広がるのは美しすぎる厨房のパノラマ。まだ揚げ物をしていない店内は処女性に満ちている。わざわざ並んでまで酒場の口開けを狙う理由は、この清らかな空気を吸い込みたいからだ。

ここでは決まって「串かつ」900円(単品)を注文。それと燗酒で、「とんかつ呑み」を満喫するとか
ここでは決まって「串かつ」900円(単品)を注文。それと燗酒で、「とんかつ呑み」を満喫するとか

 さて、いわゆるトンカツ屋という視点だけで捉えていると、『とんき』の魅力を取りこぼすことになる。ここは飲食店芸術のひとつの到達点、トンカツ・インスタレーションの場なのだ。従業員全員の白衣にバリッと糊が効いていること、天井から釣り下がるペンダントライトのミニマルな美、カウンターに並ぶソースの向き、ピン札で揃えられた重厚なレジ台、もはや名人芸の域にある客さばき。

 そういう『とんき』独自の美意識を探し、そして愛でることが、ここでの最大の楽しみ。なので、僕は極力ひとりで行く。そして飲食店というフォーマットが持つ無限の可能性について、考えるのだ。ドラゴンボールで悟空が修行した「精神と時の部屋」。そこは重力や時の流れが外界とは異なる空間なのだが、『とんき』で時間を過ごしていると、ふとそのことを思い出す。

齊藤さんマストアイテムの「お新香盛合せ」400円。お酒のつきだしの昆布の佃煮も絶品
齊藤さんマストアイテムの「お新香盛合せ」400円。お酒のつきだしの昆布の佃煮も絶品

 こちらでは、串カツとお新香を頼んで、燗酒をいただくことにしている。キャベツを何度もお代わりしては、カツと一緒に口に運ぶ。

 僕がトンカツ屋で酒を飲むことを知ったのは、小津安二郎監督の映画「秋刀魚の味」の中のワンシーンがキッカケだ。トンカツ屋の二階の座敷で、佐田啓二が後輩に妹との結婚を持ちかける場面。ふたりはただただトンカツをつまみにビールを何本か酌み交わし、しまいにはトンカツをお代わりする。それがもう何とも旨そうで、たまらなく酒が飲みたくなってしまう。僕はそれまでトンカツを定食でしか食べたことがなく、つまりご飯のおかずという感覚しかなかっただけに、これは大変に衝撃だった。

三代目の吉原出日(いづひ)さん。身振りも自然体ながら、品の良さがうかがえるのはさすが
三代目の吉原出日(いづひ)さん。身振りも自然体ながら、品の良さがうかがえるのはさすが

 最近思うのは、トンカツは「肉パン」だということ(衣がパン)。なのでご飯は食べず、代わりに米の酒を飲む。何本かいただいて「とんき時間」を堪能したら、とん汁で〆て次へと向かおう。外にはたくさんのお客が待っている。