ウスター?中濃?関西の粉もんに欠かせない「ソース」の秘密【後編】

ウスター派?中濃派?関西の粉もんに欠かせない「ウスターソース」の秘密【後編】
食楽web

ソースの味は長田のソウルフード

 前回、ウスターソースの秘密を探るべく訪れた神戸市長田区のソース専門店「ユリヤ」で、偶然出会ったお客さんから驚くべき長田のソース文化を聞いた。ますます深まる謎を解き明かすべく、さらに店の主人にも話を聞いてみることにした。

 奥のカウンターにいたのは、代表の中島吉隆さん。ソースの取材をしたい旨を告げると、こちらもすぐにOKがもらえた。「やっぱり地元のお客さんが多いんですか?」と聞くと、「う~ん、車で来るお客さんは、他府県ナンバーが多いですね。単価が安いので、帰省した人が手頃なお土産として買っていったりもするけど…ソースはこれ1本! って決めてる人も多いからね」

(株)ユリヤ代表の中島吉隆さん。気さくでとても感じのよい人。美人の奥様もお店に出ておられたが、撮影時にサッと隠れてしまわれ残念
(株)ユリヤ代表の中島吉隆さん。気さくでとても感じのよい人。美人の奥様もお店に出ておられたが、撮影時にサッと隠れてしまわれ残念

 いつものソースの、いつもの味。さしずめソウルフード的なものなのだろうか。ディープすぎる。スーパーで大手メーカーの安いの(とんかつとウスターの2種類だが)を適当に買っている筆者は、今まで、ソースに対して「こんなもの」ぐらいにしか思ってこなかった。まさに頭を叩かれたような気持ちだ。

「ソースメーカーといっても家族経営のところも多くて、まさに一家相伝の味なんです。後継者がいなくて存続が危ぶまれるソースもあります。そのソースで育っている人は『これでないと』と言うけど、もうすぐ消えてしまうかもしれないんですよ。」中島さんは、そうしんみりと語ってくれた。

神戸のウスターソースの秘密

 ソースの未来にしばし思いを寄せていたが、そうそう、ウスターソースのことを聞かないと。

「あの、ところで、ウスターソースは関東にはないのですよね?」

 そう切り出すと、中島さんは「そのようですが、東京からもウスターソースの注文が一番多いので、ニーズはあると思いますよ。実はソース文化というのは、『粉もん』よりずっと前、明治の洋食文化から生まれたものなんです」

「特にハイカラ文化が発展した神戸では、スパイスをふんだんに使った、洋食に合うウスターソースが作られました。今でも神戸のソースは、甘口でもただ甘いだけでなく、スパイス感があるのが特徴なんですよ」と教えてくれた。なるほど。だから関西の家庭でウスターが定番になったのか。納得。

「それと、ウスターソースは、釜で炊いて作るんですが、その時にできる沈殿物が『どろ』なんです。昔は捨てていた部分、いわゆるロスです。大手メーカーではロスを出さない作り方をするので、できません。また、とんかつソースもウスターとは作り方が違うので、『どろ』はできません」

 つまり、ウスターがあってこそ、『どろ』ができ、『そばめし』ブームも起こった、ということなのだ。

 すっかりソースに興味津々になり、中島さんおすすめのソースを買って帰った。それは、阪神ソース(株)のウスターソース『敬七郎』。日本で初めてソースを作ったと言われる安井敬七郎の名がついたこのソースは、明治30年当時のレシピをもとに、無添加にこだわって造られているそうだ。夕食時にいつもの調子で使い、その透明感にびっくりした。もともとウスターソースは薄いが、このサラッと感は醤油に近い。そしてその味わいは、知っているウスターソースとは大きく異なっていた。とても優しい、素材を包み込むような味だ。自分の中で、ソース世界への新たなる扉が開いたような気がした。

“The source of sauce(ソースの源)”と書いてある「敬七郎」(左)。ニッポンソース(右)は、まさに一家相伝。根強いファンが多い。
“The source of sauce(ソースの源)”とのコピーが眩しい「敬七郎」(左)。「ニッポンソース」(右)は、まさに一家相伝。根強いファンが多い。